池墻忠和『レルヒ少佐ー心に残る高田の友人たちー』(2018年)を読了📚

生墻忠和『「馬鹿棒」と呼ばれた我が故郷の大偉人 ー高田新聞に見る「葡萄王」のあの日あの頃ー』(2020年)を読了📚

生墻さんとは直接接点がないのですが、高田市博物館準備室時代からの学芸員なので、私の大大大大大先輩ということになるのでしょう。縁があって冊子をいただきました
現在、師団長官舎にある長岡外史の胸像(本山白雲作)が、高田の総合博物館(現•上越市立歴史博物館)の西堀側にあったものを移設したことは知っていたが、元々は東京芝の増上寺にあったということを初めて知った。越してから1年が経とうとしているが、不勉強で学ぶことがたくさんある
岩の原葡萄園の取材で御飯をいただくことになった際に出された数多くの御馳走を前に、雪深い越路の果てに出てくるような献立ではないと大変驚き、「岩の原は上越の別天地か」と結んだエピソードが面白かった。雪深い越路の果て≠ニいうキーワードを積極的に使っていきたい
高田新聞の記者をしていた岡倉谷人(一雄)が岡倉天心の長男だということを知らなかった。最終的には朝日新聞記者を経て、日印貿易会社を設立しているようだ
磯野霊山の随筆「黙々弧坐」(明治44年11月16日)のなかに、「知恵のないものが利口な風をする。懐の寂しいのが、金持面をして勝手に苦しむ」という一文があった。(中略)「恥しいのは自己の川端柳たる運命を知らず、人を許き、己を偽った安神の出来ない生活だ」と続くが、この言葉を贈りたい人がいる
積極的に吸収する気はないが、ふとした瞬間に何かを知ると嬉しいし、満たされた気持ちになる。貪欲になるべきなんだろうけど、私は急かされながらもスローライフを満喫したい
不勉強というのは言い訳に過ぎないが、春先の精神的にも時間的にも余裕があった頃にもっと読書や史跡巡りをしておくべきだった。縁もゆかりもない地に越すと、日々見知らぬものと対峙することになるので、得るものが多い。目に映る全てが新鮮なものに感じるのは今だけだろうが、この瞬間を大切にしたい

盆栽のように、という形容は語弊がありそうだが、うまく整えられて膨らみをもたせながら、地面につきそうでつかない、スレスレのポジションを保ちながら鉢植えにおさまっている

撮影後、用事を終えて帰りに通りすがった際、近くの水溜りに手向の花とばかりに折れた一輪が浮いていた。風に吹かれて飛ばされたわけではあるまいし、どういった経緯でこの短時間に位置を移動したのだろうか。人為的なものによる移動には心が惹かれないが、なんらかの意図が読み取れたときに、心が動かされることがあるかもしれない
「いわゆる地方都市の新幹線駅にあるような同じような開発の仕方をされた特徴のない町並み」という表現に首を大きく縦に振って頷いてしまった。でも、まだ駅前が開発されて商業エリアになっていればよい方で、外食チェーン店すらもない駅だってここらには多い。

最近ようやくビジネスホテルが立ち並び始めたけど、誰がこんなところに出張するんだとリーマンの不在を積極的にアピールしていく所存。というか、ビジネスホテルという括りも時代にそぐわなくなってきているような。とか言い始めると、横道に逸れてくるので軌道修正。とにかく、ビジネスホテルとレンタカーの店舗が賑やかしとばかりに展開している。駅から直進すると遺跡があるけど、それとて見慣れた景色として日常に溶け込んでしまうと、ただの原っぱが広がっているだけで面白みに欠ける。そんな新幹線駅に通うようになるなんて、昨年までの自分では考えられなかった