私はつくる人と見る人の関係に常々興味があります。作家と鑑賞者という二項対立する構図を美術鑑賞という場ではつくってきたと思うのですが、そもそもその関係性ってとても変なものだと最初から思っていました。作家は作品を描くたびに最初の鑑賞者であるわけだし、鑑賞者はその作品と出会ったときは、その鑑賞者の感じる世界のもので、作家はそこには一切関係ありません。作品の解釈とは、鑑賞者の数だけあって全部違うわけです。それは当たり前すぎることですよね。それなのに、大変多くの方々が、未だに、作品は作家のものであって、作家が作品の正解をもっていると信じています。そしてその作家のもっている正解を鑑賞者が当てることが鑑賞と思っているふしがあります。そんなわけないじゃん、と作家自身がどんなに言い続けていても、どこかで作品とは作家のもの、つくりあげた人の分身のように思いこんでいる。

p121「II ダイアログの旅 「贈与」と「」交換」所収、鴻池朋子『どうぶつのことば 根源的暴力をこえて』(羽鳥書店、2016年)

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